スローフード・スローライフっていう言葉、以前はちょっとはやって目にすることがありましたが、最近あまり聞かなくなりましたね。
それだけますます余裕がない世の中になってきているのでしょうか。
どた山は昔から憧れていて、もしかしたら自分の幸せの中心的な考え方なのかも、と感じることもあるので、調べてみることにしました。
スローフードってなに?
スローフードは1980年代にイタリアで提唱された社会運動です。おおまかにはファストフードに対する言葉と考えてよいでしょう。
なんでもローマのスペイン広場にマクドナルドが出店されたことがきっかけだったとか。食にこだわりをもっているイタリアの、あのオードリー・ヘップバーンが映画の中でジェラートを食べていたあの場所に、ということだったので、衝撃も大きかったのでしょう。
その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動、ということなので、ファストフードや今広まっているデリバリーサービスと敵対するものではありません。
3つのキーワード
スローフードの運動には3つのキーワードがあり、考え方を理解するのに参考になるかもしれません。
・ブオーノ Buon(おいしい)
五感が心地よい、という感覚を満足させるような感じ。
・プリート Pulito(きれい)
環境に負荷がかからず、健康を損なわない生産。
・ジュスト Guisto(ただしい)
生産過程で搾取がないこと。フェアトレードと同様でしょうか。
食べ物は自分の体の一部になっていくものですから、もっと重要視されていいのではないかと思うのですが、現状はそうなっていないと思わざるをえません。
まわりで病気で悩んでいる人のけっこうな割合が、食べ物に気を使えていない影響なのかな、と感じることも多いですし。
ブリア・サヴァランの影響
この運動はフランスの美食家(本職は法律家のようです)ブリア・サヴァランの影響を受けているということも、なるほどと思わせる点です。
代表的著作「味覚の生理学」(日本語では「美味礼賛」という名前で出版)が有名ですが、彼の有名な言葉に、
Dis-moi ce que tu manges,je te dirai ce que tu es.
(君が食べているものを言ってみたまえ、君がどんな人であるか当ててみせよう)
というものがあります。きちんとしたものを食べている、と胸を張って言えるようになりたい、と以前から思っていたので、この運動と関連があると知ったときは、自分が共感するのはこんなところにも繋がりがあったのかと納得しました。
余談ですが、ブリア・サヴァランの妹も食べることに相当こだわりがあったようです。
病気で療養しているときに食事をしていて、突然苦しみだすと、「もうすぐ死にそうだから、はやくデザートを持っておいで」と言ったという逸話が残っています。
スローライフとはスローフードが実践できる生き方のことなのか?
一方、スローライフという言葉はスローフードと違って、これという定義はないそうです。
時間を気にせずゆったり過ごせる状態のこと、といったイメージがどた山にはあります。それは田舎暮らしとか都心部ではダメ、とかそうしたことではなく、どこであってもゆったりした暮らしをしていることなのかなと思っています。
スローフードを実践するとなると、食材をしっかり見定める、簡単でも調理の時間を取り入れる、落ち着いた食事時間が必要、こうしたことからも自然とスローライフになっていくのではないでしょうか。
スローフード・スローライフのハードル
憧れてばかりのスローフード・スローライフですが、なぜ憧れでとどまっていて実践に踏み切れないのか、それはこの2点が問題だからです。
時間がかかる
まずは時間を確保できるのか、というのが障害の一点目ではないでしょうか。
生活の糧を手に入れるために仕事をしている、家事や育児で手一杯、なにがゆったり食事だよ、出来合いのもので手短に済ませないと生活が成り立たないよ、という人が日本ではとても多いと思います。
これは自分の日々の生活を考えてもよくわかります。
そもそもこうしたテーマで語る、ということそのものに、何を浮世離れしたことを言っているんだ、と反感をもたれることもあるのではないでしょうか。
お金がかかる
きちんとした食材をそろえていくとなると、食費の支出がこれまでより多くなります。体のことを考えて食料を買うとなると、農薬や添加物のことを意識するようになるので、価格の高いものになっていってしまいます。
食材にこだわらず、大量生産された調理済みのものを購入するほうが支出をおさえられ、その分お金を他に使ったり貯蓄したりできますからね。
お金がかかる、という言い方もできますが、支出するものが変わってくるので、お金をかける部分が違ってくると考えてもいいでしょう。
それでも憧れる理由
時間が取られる、お金がかかる、こうしたことが避けて通れなそうなスローフード・スローライフ。それでも憧れる理由はなんなのでしょうか。
それはなんのために生きているのか、という根源的な問題に突き当たるからなのだと思います。
ゆったりした時間が取れないほど働くのはなんのためなのか。自分が楽しかったり心地よかったりするときとはどういう時なのか。本当に手に入れたいものはなんなのか、お金そのものなのか。生きていく上での優先度が高いものとはなんなのか。
そうしたことを考えていると、家族や友人とゆったりと体にいいものを食している絵が浮かぶのです。
この生活へのハードルとなっているもの、それはお金に対する恐怖感といってもいいかもしれません。
たくさん働いてお金を貯めて、先々に備えないと、そして毎日を生き延びないと、という不安にかられます。そうした気持ちを抱えるのは、将来が見通せない現在の私たちには仕方のないことなのだと思います。
でも、お金はなにかに変えないと価値を発揮できないという性質があります。そのままだとただの紙や金属、あるいは口座上の数字ですから。
価値のあるものに変える、その変える先がスローフードやスローライフなら、幸せなんじゃないかなと思うのです。
憧れているだけでは一生始められない
これはなににおいても同じことなのですが、憧れているだけではいつまでも始められないので、まずは一歩を踏み出すというエネルギーが必要です。
どた山はスローフード・スローライフに憧れてるけど、そうしたことが実践できる時間やお金ができてから、とか言っていると、時間はサラリーマンを辞めるまでできないし、お金に至ってはいつできるのかなんて予測すらできません。
0を1にするのが1を100にするより難しい、とは新しいことを始める際によく言われることです。
まずは次の休みの1食から始めてみましょうか。体のことを思った食事を作ってちょっとおいしいお酒も用意して、憧れを体験することから始めてみようかなと思います。
コメント
「きのう何食べた?」というドラマが食の場面を丁寧に描いているのは、そういうことなのかもしれませんね。
関係ないかもしれないけど、タモリの発言。「料理はリラックスして食べるものだから。緊張させるラーメン屋のオヤジとか、緊張させる頑固な寿司屋のオヤジとか、ああいうの大嫌いなんだよ。」
好きな人とリラックスして、体に良いおいしいものを食べる、これが幸福の回答のひとつなのだと思っています。