世界のほとんどの階層で寿命は伸びている傾向にある中、米国の白人労働者は短くなっている、そんな状況があるようです。
アルコール、ドラッグ、自殺が主な原因となり寿命が短くなっているとのことで、この事態は私たちが生きていくにも考察するに値するのではないかと思いました。
そんなに努力しないといけないのか
米国の白人労働者をとりまく環境はどうなっているのか。どうやら仕事のあり方、米国人の物の考え方、そのあたりに問題があるようです。
現在の米国の労働環境というのは、要求水準が高すぎる、という問題点があります。
とてつもなく優秀な人であればなんとかこなせるけど、通常の人であれば過剰なまでに努力し、やっとついていけるかどうかで、そんな過剰な努力を続けなくてはならない結果、心身ともに壊れていく、という流れです。
日本でもその傾向はあるのかな、と感じています。
どた山が社会人になった昭和の末期、社会に出るのがとても不安だと言っている友人がいました。自分が仕事をしてお金を稼ぎ、生活をしていくということが可能なのか、心配していたのです。
その友人が後に、父親に悩みを相談したというので話を聞いてみました。
父親に言われたそうです。「そんなに仕事が難しかったら、だれも仕事なんてできないだろ、みんなやってて生きていってるんだから、たいていの場合できるって考えるのが普通だ」
その話を聞いてどた山も、確かにそうだよな、全員とはいかなくても大体は大丈夫だよな、と感じたものです。
ところが昨今の仕事内容をみると、通常の努力ではなかなか厳しいというのが実感です。米国のような激しいスピードで変化しているという程ではないのかもしれませんが、要求水準が高く、ついていくのが困難だと感じることが多くなりました。これは老化という面だけではなく、若い人を見ていても感じることです。
米国人特有の発想、日本人も?
仕事の要求水準が高くなりすぎているというのは日本でも感じられる、ということはおそらく世界中で同様の傾向にあるのでしょう。
その上で、米国人には特有の傾向があるようです。
それは「努力というものに対する過剰な信仰」が疑われるからです。
成功のために必要なものは「努力」ですか、という質問に、「はい」と答えた米国人は77%だった、という調査があるそうです。
同じ質問をドイツでしたら「はい」と答えた人は約50%、フランスにいたっては25%だったとか。
米国人は、学歴、資格、スキルといったものは教育や努力によって向上できる、と考えていることを表しているのかなと感じます。ヨーロッパは階級社会が根強いのか、生まれでの差を埋めるのは無理だと思っているのかもしれません。
日本も努力偏重型の考えをする人はとても多いように思うので米国型かな。
この米国型思考だと、自分がうまく行かないのは努力が足りないせいだ、と信じ込むことになり、限界を超えて努力し続けた結果、自分に自信がなくなり、自暴自棄になっていく、という流れになっていきがちです。これではアルコール、ドラッグ、自殺、に繋がっていくというのも仕方ないかもしれません。「絶望死」と呼んでいる人もいます。
努力できるかは遺伝子次第?
一方、そんな米国人たちを驚愕させ、ヨーロッパ人が「ほーら」とか言いそうな研究がされました。
ミシガン州立大学とテキサス大学が合同で行った、遺伝子医学の研究です。
一卵性双生児の双子850組を、全く別々の収入層の家庭に分け、成長させます。一方は裕福な家庭、もう一方は失業してアルコールに依存しているような家庭、といった感じです。そこでクラシック系の楽器を練習させて努力できるかの比較をした結果、演奏技術の差異は全く生じなかった、というものです。
クラシック系楽器というのは、日々の努力が必要なので、調査種目として適しているのだそう。(こんな研究してもいいんだ、というのが驚きですが)
努力できるかは遺伝子で決まっているので、努力により成功できるかはただの運であるという、身も蓋もない結果となってしまいました。
成功はこうした遺伝子、生まれた時代や場所、そうしたもので決定されるので、ヨーロッパ人のアンケート結果の方が、実態に即した自然な考えだった、ということになります。
米国人は洗脳されているのか?
成功のために必要なのは努力です、という考え方に支配されている社会というのは、「あなたがダメなのは努力が足りないからですよね?」という風潮になってしまい、そんな人のために社会資本は使うことはないといった考えと親和性があるため、社会保障が弱くなってしまいます。
一方、成功というのは運に起因する、という考えであれば、不平等は必ず起こるので、弱者に富を再分配する、という考え方となり、社会保障を厚くする発想となります。
米国は貧富の差が激しい上に、国家の介入も少なくしていくのが基本的な考えとしてあるとなると、一部の富裕層になれないとかなり辛そうですね。
ヨーロッパは階級社会で固定化されてしまっている面があるので、そんなところからも再分配の方向に考えが進むのでしょうか。
また、前述のような遺伝子研究は、一部の金持ちからは批判の対象となります。
それは、運営しているオンラインサロンなどで、自分のやり方を伝授して対価をもらう、といったやり方が、その人がたまたまできただけで、一般化できないということに繋がるからです。
そして成功した人は、それが自身の努力によって得られた能力によるものでなく、運が良かっただけ、と言われるのが不快なので、研究を否定しようとします。
また、こうした遺伝子研究は累進課税を肯定することにつながるので、一般人から税金を取って金持ちに分配するような「逆累進課税」を希望する富裕層からは嫌われるのです。
私たちはどのように生きていくか
米国の白人労働者だけが寿命が短くなっていくということから、人の能力、特に努力できるかの能力について見てきましたが、それでは私たちはどのように生きていけば良いのでしょうか。
累進課税を敵対視する富裕層に与するわけではありませんが、可能な範囲の努力はしていかないと、怠け癖がつくので良くないかな、とは思います。ただ、過剰な心身を壊すような、もっと言うとゆったりとした心がなくなるような努力はしなくていいのかなと思います。
そのような状態からはドロップ・アウトしないと、健康を害して何のために生きているのかわからないという、本末転倒なことになってしまいますからね。
激烈な富裕層は別次元だと思えても、キラキラした生活をできる金銭的能力や見た目の良さを自慢するSNSを見て落ち込んだりすることもあるでしょう。それも遺伝子レベルで決まっていることとあえて思い直し、見ても受け流す、無視する、という方向性で乗り切っていきましょう。
明るい気持ちになれるように考え方を整えて、ゆったり暮らしていく、これができればとても素晴らしいことです。
コメント
自分が納得できる生き方がいいと思っています。もちろん、この世は努力しても報われないことばかりですが、努力したい自分がいるならば、努力すればいいと思います。
他人と比較するのは、向上心を引き出すためだけに利用して、落ち込んだり、ひがんだりするのは意味がないのでほどほどにしています。まあ、そんなにうまくも行きませんし、しょっちゅう、落ち込んだりもしますけどねー。
努力することそのものは結構いいことですよね。後悔したくないという思いがあるときなどは特に。何事も過剰にすると問題が生じるのは努力も同じなのかもしれません。報われないことは多いですが、うまく行かなかったことをフォーカスして記憶するようにできた人だけが太古の昔から生き残ってこられたという話もあるので、よかったことも意識して思い出していきたいと感じています。
他人と比較するんじゃなくて少し前の自分と比較しろ、とか言う人多くて、自分でも言ったりしますが、なかなか難しいです。
稀に、どうしても根性論で乗り切らないと仕方ない状況というのもあるのですが、人生のスパイスみたいなものと割り切れたらいいなと思います。
富裕層になったのは単に運が良かっただけなのに彼らはその事実を絶対に認めないという話は、とても興味深いです。
そして、それ以上に、「一卵性双生児の双子850組を、全く別々の収入層の家庭に分け、成長させ、クラシック系の楽器を練習させ」た実験をやったということに、驚きました。
やはり尊敬されるために、努力の結果成功したと言いたいのでしょう。一卵性双生児の実験は日本でも東大附属で今も行われていますよね。