選択肢が少ないことはよいことか

日々の楽しみ

人生において、選択肢は多いほうがよい、と言われてきませんでしたか?

特に中学生や高校生の時に「これといった目指すものがないのなら、できるだけよい高校や大学に行ったほうがいい、なにかやりたいものが見つかったときにそのほうが選択肢の幅が広がるから」みたいなこと言われたことないでしょうか。

よくよく考えると当たっているのかどうなのかわからない内容ですよね。

確かに、特に目指すものがなくて、学校出るとき官僚になりたい、と思い始めたら、よい学校で勉強していたほうがよいかも、という例はあるのかもしれません。

自分の頭で考える習慣とか色々な本を読むとか、運動する機会を見つける、という方が大事な気もします。よい環境に身を置けるということで、高校とか大学にこだわるというのならまだわかりますが。

どた山が言われただけでなく、一般的なセリフとして学校の先生を始めけっこう多くの人がこのようなことを言っていたようだったので、みなさんも「選択肢は多いほうがよい」という刷り込みをされていることが多いような気がします。

それは本当なのか、人生の幸せにつながるのか、ちょっと迷ったので考えてみたいと思います。

ジャム販売の話

TEDの講演で話題となった、ジャムの展示販売の実験をご存知でしょうか。

この実験はコロンビア大学が行ったもので、スーパーでジャム販売をするときに、種類が多い場合と少ない場合で、どのような違いがあるか調査したものです。

一方は6種類のジャムを展示して試食をしてもらうコーナーを設置し、もう一方は24種類の展示で試食してもらう設置にしました。

その結果は次のとおりでした。

6種類の場合

試食した人 40%

試食後に購入した人 30%

24種類の場合

試食した人 60%

試食後に購入した人 3%

この実験を引用して、複雑な選択肢よりも、少なくシンプルな選択肢のほうがうまくいく、満足する、ということを主張する人がいます。

買い物のときには確かにそうかもしれませんね。

ものを買う、というのは満足感につながるものなので、選択肢が少ないほうが満足感を得やすい、というように話をつなげるのかもしれません。

ヒュッゲ(Hygge)とは?

デンマーク語に「ヒュッゲ(Hygge)」という言葉があり、デンマークだけでなく、北欧全般の価値観を表す言葉として日本でも取り上げられることがあります。

人によってニュアンスが変わってくる言葉らしいのですが、「居心地の良い空間」とか「楽しい時間」という、ゆったりした豊かさを表す言葉であることは共通のようです。

好きな人とおいしいごはんを楽しんでいるときとか、のんびりと公園飲みをしている様子とか、気持ちよく晴れているときに自然の中を散歩している、そうした幸福感をイメージしてもらうと近いと思います。

ヒュッゲの説明としてよく言われるのが、

気兼ねなく過ごせる人との時間を大切にする、

一人でもゆったりできる空間作りに気を配る、

日常的に自然と触れ合う(ベランダで花を育てたり、観葉植物を飾る、といったことも含む)、

ものを大切にする(使い捨てではなく気に入ったものを大事に使い、結果としてそうしたものに囲まれる)、

これらのものを味わえる感性を養う、

こうした説明をされることが多いです。

そしてそうしたことを実践するための考え方の具体例として、

期待値を上げない、

選択肢を減らす、

他人と比較しない、

といった例を出されたことがありました。

先にお話したジャムの実験の話を聞いたときに、「あれ、ヒュッゲの話と似てるな」と感じたのも選択肢の項目のためです。

期待値を上げないとか、他人と比較しないは、割としっくり来るのですが、選択肢を減らすというのはピンときていませんでした。

もしかしたら「幸福度ランキング」で上位に来ている国の人達には、「選択肢を減らす」というのは幸せに満足するための共通認識になっているのかもしれません。

幸福度ランキングには色々な意見はあるようですが、調査146カ国中、上位は北欧諸国が常連、デンマークは2位、ジャムの実験をした米国は16位(意外と上位でびっくりです)、ちなみに日本は54位です。

ヴァイオリンの展示会で思ったこと

ちょっと前ですが、いつもお世話になっている楽器屋さんの展示会があったので行ってきました。

行ったところで買えるわけでもないしと、しばらく行っていなかったのですが、今◯万円持っているという妄想で行ってみたら面白いかな、と出かけてみました。

入り口に入るとまず記帳を求められます。これは今後の案内を送付するための商業的なものなので、特に恐れることはありません。

大きくヴァイオリンのコーナー、ビオラのコーナー、チェロのコーナーと分かれていて、ヴァイオリンのコーナーもお求めやすいものコーナー、売出し中の新作コーナー、それなりのお値段コーナーとざっくりと分かれています。

どた山は妄想でそれなりの予算があることになっていますので、それなりのお値段コーナを主に見ていました。

手ぶらで来たので、試奏するには弓を借りなくてはいけないので借りるついでに試奏させてもらうお願いをします。

弓を貸してくれた店員さんが様子を伺っていて結構緊張するのですが、端から順番に弾いていると店員さんが「どうですか」と声をかけてきます。

これとこれはいい感じですね〜みたいな受け答えをしていると、ご予算的にはこのあたりなんですか? といった話も交えてきます。

はい、今すぐに、というわけではないんですけど、とか言っていると店員さんはさらに近寄ってきて試奏がしづらいのですが、開き直って弾いていました。

これとこれはいい感じですね、と受け答えをしたのは本当で、実際に数を弾いていくと数本に絞られていきます。でもその先はもう比較のしようがなく、その数本は弾けば弾くほどわけがわからなくなっていきます。

こっちもどうぞ、とか言われて、それなり以上のコーナー(4桁万円)に連れて行かれて弾かされたので、だいだいわかりました、とか訳のわからないことを行って引き上げたのですが、3、4本くらいに絞られてもその先で混乱するというのは、選択肢が少なくなっても多いときと同じように選べないじゃないか、ジャムとは違うのかな、値段が違うし、と感じた経験でした。

少ないほうが選択はしやすいのだろうけど

家電も最近はネットで比較できたりするのでそれほどあちこち回ったりしなくなりましたが、ひと昔前は東京とか大阪だとあちこちの量販店回って迷った挙げ句に疲れて帰ってくる、みたいなことがありました。

地方都市になるとお店の選択肢が少なくなるので、心安らいで底値ではなくてもそれなりに満足して買い物する、ということを言っている人もいました。(某女装系タレントさん)

調べてみると中学高校時代に言われていたのとは逆で、ジャム販売やヒュッゲの考えなどで見られるように、選択肢は少ないほうが人生の満足度に貢献する、という見解が多いようです。でも自分の人生ではどうなのでしょうか。

実現可能性のない選択肢を用意されても確かに意味はないのだけど、実現できる選択肢は多いほうがいい、まだそこまでは達観できない、というのが本音です。

これが適職だし大好きだ、という仕事をしているわけでもないし、これがやりたい、という職があるわけでもない。今後住める可能性のある地域もなるべく限定されたくない。食べるものだって、金銭的な状況や健康面で制限されたくない。

ゆったりした暮らしは憧れで実現したいけど、気持ちの余裕がある状態にならないと、選択肢が少ないことの落ち着きや幸福感というのは味わえないのかもしれません。

コメント

  1. こや より:

    選択肢がたくさんあるということは、自分の選択以外の選択の方が良かったんではないかと常に思ってしまい、諦めがつかないので、なかなか幸せになれませんね。だからイケメンはなかなか長期間続く相方ができづらいのかもしれません。

    でも、選択肢がないのも問題です。中学生なんかは、自分の知っている狭い世界(家族やクラス)が全世界であり、それ以外の選択肢はないと思っているので、そこでいじめなんかがあると自殺してしまいます。

    • dotayama8 より:

      とてても難しい問題ですね。モテすぎの人のように選択肢が多すぎるのも幸せなことなのか疑問に思うこともありますし、閉ざされた世界しか提示されていない人は、それなりの選択肢がないと命に関わる場合もありますし。ないよりはあった方がよいと感じています。

  2. ダフニス より:

    はじめまして。いつも楽しみに拝見しています。
    ヒュッゲ大好きです。
    できればヒュッゲライフをひたすら満喫し続けたいのですが
    そういうわけにもいかないので、日常で少しでも楽しいことを見つけて行きたいと思います。

    • dotayama8 より:

      ヒュッゲの日々を実現することが自分の望みなのだろうと確信に近いものを感じています。ただ、完全に実現できる状態を待っていると人生終わってしまいますので、不十分ながらも取り入れていくことは重要な考え方だと思います。

タイトルとURLをコピーしました