年が明けた、さあ昨年を振り返ろう

日々の楽しみ

新しい年となって少し時間が経ちました。

この前の年と新しい年を分離することに強いこだわりを持っている国にいるとあまり疑問を感じませんが、本来前年の12月31日と翌日の1月1日は明確に変化があるとは思えません。みなさんはどうお感じでしょうか。

年忘れ、という言葉

忘年会とか「年忘れにっぽんの歌」という番組とか、なぜこれほどその年を忘れなければいけないのでしょうか。それほどすべて忘れなければならないほど、日本にいるということは辛いことなのでしょうか。

確かに災害が多く、夏は暑く冬は寒いという、決して古来より住みやすいとは言えない土地柄でしたので、もしかしたらそうした側面もなくはないのかもしれません。

しかし、年忘れにこだわるのは、はっきりと新しい年と線引をしたい、古来からの考え方によるところが大きいようです。

「年神」という概念

年末年始の激しく大変な一連行事というのは、すべてこの「年神」信仰に基づくもので、当年を忘れるように区切る、というのも年神を迎える一環と考えてよいのでしょう。

年神は正月に各家庭にやってくる来訪神という位置づけで、豊作や祖先崇拝といった部分にもつなげて考えられていて、長い期間重要視されていたふしがあります。

また、数え年では年が明けると全員一斉に歳を取るので、明確な線引として捉えられたのではないでしょうか。

初詣や鏡餠といったわかりやすい宗教色のあるもののほか、現在ではほとんどお掃除用品のマーケティングに利用されているといってもよい大掃除も、年神を迎えるための宗教行事なのです。

フランスで驚いたこと

年が変わる部分で極度に区切るということに慣れているため、年末になると「今年の10大ニュース」といった報道があって、特に違和感もありませんよね。

こうした特集が例えば12月29日に組まれた場合、残りの2日で大きな出来事があったら、どこにカウントするのだろうと、いつも不思議に思っていましたが、とにかく区切ることが重要なのでそんな些末なことは考慮されません。

ところが、それを一気に解決する技があったのです。

まだミッテランが大統領だった時代、年末年始にフランスに滞在していたことがありました。

年が明けて元日にテレビを見ていると、「さあみなさん年が明けました。それでは昨年を振り返ってみましょう」というアナウンサーの言葉とともに、年末にやるものと思い込んでいた振り返り番組が始まったのです。

これなら年末ぎりぎりに起こった出来事も網羅できますね。

しかし、いつの間にか年がかわる部分で極度に線を引く、という世界観にどっぷり浸かっていたのか、このときの違和感は衝撃的でした。

新しい年になっているのに振り返っちゃうとか、テレビでやっていいの? と思ったものです。

すぐに忘れてしまう国民性につながっているのか

日本では政治的な不満とか、社会的な問題があっても、「すみやかに」といっていいくらいすぐ忘れますよね。例えば消費税が上がって生活が苦しくなったとしても、2、3ヵ月も間を置けば、もう政権批判には繋がりません。

それに比べて海外では、しつこくしっかり覚えてるな、とある意味羨ましく思っていたものです。

それも度が過ぎると、「2000年前にここに俺たちの王国があったんだから、お前らどけ」みたいな屁理屈になるので、困ったことではありますが、どちらにしても極端なのは世の中うまくいかないというのがどた山の考える方向性です。

忘年会、年忘れ、年神、正月、楽しんでできればよいですが、意外と年末年始の一連のことは、結構極端な発想なのでは、という視点を持っていたいです。

大掃除、年賀状、仕事に区切りをつける、正月の準備、親戚が集まる、しかも寒い時期に。体調を壊さない程度に行事を楽しむ、というスタンスが大事ですよね。

ちゃんと掃除してないから、そこには行かない、なんていう年神だったら、別に来てもらわなくていいです。

コメント

  1. こや より:

    年明けに蛍の光の曲を歌う国とは、年越しの捉え方が違うのかもしれませんね。もともとの歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容らしいので、楽しかった思い出を大事にするという発想です。でも日本は「年忘れ」なので、嫌だったことや辛かったことを中心に過去を考えているような気がします。

    • dotayama8 より:

      生きるとはなにか、心の豊かさとはなにか、何のために生きるのか、という視点があまりないのかもしれないな、と思うことがあります。楽しく生きましょう。

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