みなさん家事は得意でしょうか?
どた山はあまり得意とは言えません。
時節柄でもありますし、今日はそんな中でも、苦手な人が多そうな掃除から、思うところを記していきます。
そもそも掃除は必要か?
掃除というのはしないといけないのでしょうか。
部屋をきれいにしていないと、ごみやホコリが溜まり、衛生的ではないですよね。体によくないイメージはありますが、かなりサボったとしてもすぐにどうにかなるわけではないし、そもそも重労働だし、できればやりたくないな、と思っている人はけっこう多いようです。
改めて必要か、と言われると意外とそうでもないかも、と思ってしまいますが、掃除はきれいにするだけではない、色々な効果があるのではないでしょうか。
気分的な問題
スピリチュアルなものが好きな人は、掃除をすると運気が上がる、といったことを言う人がいます。
掃除をしたら運が上がるとか、そんな都合のいいことはありませんが(あったらみんな運がよくなってしまいます)、まわりがきれいになって清々しい気分になり、気持ちが良くなることによって前向きな気分になる効果は十分にあるでしょうから、やった方がいいこと、には間違いないのかなと感じます。
精神衛生上もスッキリした気分になればストレス緩和にもなりそうですよね。
ごみ溜めのような環境に住んでいるより、さっぱりとした空間にいる方が、明るい気持ちになれるのは間違いないようで、抑うつ的な気分の人が部屋をきれいにしたところ、よい影響があるとも言われています。
掃除をする前に物を減らしたい
掃除そのものより、実は物を減らすというのがもっと重要だと考えています。
そもそも掃除機をかけるにしても、物が多いと邪魔でかけられないですよね。
物をどかすのが面倒だからとやる気をなくす、掃除の基本は物を減らすことにあると言ってもよいと思います。
掃除をする気力が起きるかどうかは、床面が見えているかどうかにかかっている、というのがどた山の経験で、床置きしたものがある部分は掃除からの除外地域となってしまうのが世の常なのです。
掃除というものは、物を処分して持ち物を減らすことと同義である、と強く感じます。
使わないものを持っていること、床に物を置いていること、ここから美しさは生まれません。
物が減った状態を維持したい
清掃というのは物を減らせれば8割は成功と言っていいでしょう。
物を減らすといいことがたくさんあるのです。
でも物が減ったシンプルな暮らしというのは、油断しているともとの雑然とした状態に戻ってしまいます。
スッキリした状態を維持するにはどうすればよいでしょうか?
それは不要なものを買わないというように、暮らしそのものを変えていくことです。
掃除よりも大切なことと思う部分はここなのです。
富裕層はミニマリストが多い
何か買おうとしたときは、それが本当に必要なものなのか、買う価値があるのかをいちいち考えるようにすると、簡単に買わなくなります。
もし物を買うのであっても、こだわりのあるものを買って大切に使う、そうすると一回の支出は大きいことがあるかもしれませんが、安物買いの銭失いになったり、不要なもので部屋があふれるということもなくなってくるかと思います。
「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」という言葉を株の世界で聞いたことがありますが、買い物でも当てはまりますね。
富裕層の人々の住まいには、極端に物が少ない、という共通の特徴があるとのことです。
部屋のあり方というのはその人の生き方を写す側面も否定できず、余裕のある人たちは物よりも価値のある体験にお金を使っているといわれているのも頷けるところです。
確かに、物を買うにしても体験するにしても、自分が価値があると思ったものにしかお金を使わなくなれば、物にあふれる部屋にはならなそうですね。
掃除ができているかどうかというのは、健康とか運気の問題ではなく、お金に対する向き合い方の問題なのかもしれません。
物を減らすことの一番の魅力
今回、清掃の話から物を減らすことの話になぜつながっていったかというと、物が少ないということは、お掃除ロボットを導入できる、という視点があったからです。
消費税の税率が上がる直前、お金持ちエリアの地域のごみに、お掃除ロボットの箱がたくさん捨てられていたという話もやはり、と思わざるを得ませんでした。
掃除が億劫なのは物が多くてやりにくいからだ、そうするとますますしなくなる、そしてますます汚れる、という悪循環。
一方、物が少ない、そうすると掃除が簡単、それどころか床に物がないからお掃除ロボットを使えてますます掃除が楽に、という好循環。
物を減らすというのは、楽しく暮らす、の重要な要素なのではないかと感じるのです。
コメント
親の世代は、所有物が増えていくことに喜びを感じていた感じです。
一方で、我々の世代はモノを持たないようになっている。
でも、さらにその下は、再びモノを持つようになるかもしれない。
ファッションが周期的に繰り返されるように、モノの所有への考え方なども、周期的に繰り返されたりするのでしょうか?
現在は富裕層は物を持たない、という風潮ですが、さらにその下の世代は、富裕層でなくても物を持たない、というようになっていくように思います。
物が持てないのではなく、余裕があっても持たなくなっていくのではないでしょうか。