以前、三鷹の跨線橋が取り壊しになることを取り上げましたが(2022年11月20日)、いよいよ今年の12月に撤去されることが決まりました。
太宰治が自慢していたこの跨線橋は、いつでも行けそうだからと、ずっと行かずに放置していましたが、このままでは行かずに終わってしまうとあわてて行ったのが前回。
そして本当に形がなくなってしまうことが具体化された今、また訪ねてみなくてはという思いに駆られています。
なくなってから気づく愛着のあったもの
近年なくなって気づく愛着のあるもので、多くの人に思い起こされるのは鉄道関係でしょう。
廃線跡地を巡る人がたくさんいるのも、いたたまれない程の郷愁に突き動かされるからという側面も大きいのではないでしょうか。
寝台列車も国内では「サンライズ瀬戸・出雲」を残すだけ。でも臨時で走る寝台列車も含め、今ではすべて豪華客室タイプの列車になっています。
味わいのある「ブルートレイン」といったものはなくなってしまいました。
時の総理による強行で国鉄が消滅し、民間営利会社に移行したので、不採算部門は切り捨てられる方向性が基本。そのため、飛行機や新幹線による速達優先には速さで太刀打ちできず、格安の長距離バスやビジネスホテルの登場で低価格競争では相手にならず、利用者が少なくなっては残すのは難しいのでしょう。
車両を維持管理するにも費用がかかり、経年劣化した車両を新しくするよりは廃止してしまったほうが金銭的に割に合う、というというのもわかりますけどね。
かく言うどた山も国内では寝台列車に乗ったことは一度しかありません。
前のパートナーが、寝台列車廃止の世の中に危機感を持って、寝台急行「銀河」に一緒に乗りに行ったのが最初で最後です。
街並み
味わいのある街並みもほとんど消えていきました。
どこの駅も駅ビルがあり、駅前にはバスのロータリーがあるという光景ばかりで、ホッとすることもウキウキすることもありません。
街歩きが楽しい街というのは、詳しい人に聞かないともうわからなくなっている状態です。
近年大きく変わった下◯沢に、数ヶ月前やむを得ず降りて歩いたのですが、ここまで無機質に味わいをなくす方向によく変えられたな、と逆に感心しました。回遊する楽しみも店に入る喜びも感じられないのは、どういう理由なのか。集う人が楽しそうに見えないのはなぜなのか。今後のハードの街づくりのために考えなくてはいけないのかもしれません。
消防車が入れないとかいう防災上の問題はあったかもしれませんが、とても残念でした。
せんべろの街として有名な立石も同じ方向になってしまうのか、注視していきたいです。
人もまた然り
夏のはじめに、以前一緒の職場で働いていた年下の女性の突然の訃報がありました。
ご病気だったようなのですが、異動してからは離れた仕事をしていたので、休んでいたことも全然知らなかったのです。
明るくて快活な人で、よく怒られたりもしていましたが、いつも力になってくれて頼もしい存在でした。
このように唐突にこの世から去ってしまう人というのも、これまで会社の中でも外でも何人かいたのですが、いつでも会おうと思えば会えるなんて思っていたのは、実に甘い考えなのだなとそのたびに思い知らされ後悔します。
かと言って、あなたが明日死ぬ確率は0ではないから会いに行きます、という風にはなかなかいかないですもんね。
どた山の今年の目標のひとつに「月に1回、懐かしい人に会うか、懐かしい場所を訪れる」というのがあるのですが、ほとんど実行されていません。
この目標は実行されていないという点では「失敗」と評価されるのでしょうが、実行できないという洗い出しができたことを考えると、とてもよい目標だったと思っています。
それほど私たちは日々の生活に流され、そして後悔していくのです。
手遅れになる前に
よくある話で、行きつけの飲み屋さんが閉店するときに「懐かしいお店がなくなって寂しい」と大して来てもいなかった、たくさんのお客さんがやってくる、というのがあります。お店側からすると、「それならもっと来いよ」ということになるのですが、あまり来ることのなかった、懐かしい思い出の場所は永遠に失われてしまいます。
そうしたお店と同様、日頃はあまり顧みることのなかった、あなたの懐かしい場所や物、そして人も失われていきます。
もちろん変化は悪いことばかりではなく、現代は人類の歴史上、おそらく最も恵まれている状態であることは間違いないと思います。
懐かしいものが思い出の中にしかなくなってしまうその前に、後悔のないように生きていきたい、そうした視点も楽しい人生にするためには必要なのだなと痛感しました。
遠い海外の懐かしい場所に行くことはそう簡単ではありませんが、まずは残りわずかな三鷹の跨線橋から、後悔をなくす一歩を始めたいです。
コメント
私の両親も、
「いつか時間があるときに会いましょうね」とか、
「〇〇が終わった行ってみようと思う」
などと言い続けているうちに、
会ったり行ったりすることなく、死んでしまいました。
私たちも現在進行形でやってしまっていることですよね。月に1回は強制的にでも行動、と思っているのですが、それでもできません。